Separation

佐々木健「Separation」展を見た。
画廊に持ち込まれたのは、7種の映像をループする7つのディスプレイ。
それから床には銀色の屋根と、長年使い古されて形が歪み、もう二度と扉は開かないかに見える金庫。
最初は映像作品かと思ったが、4方の壁に設置された映像を、ぼやりと単純化して反射し続ける屋根は、
そう解釈することにはっきりと抵抗していたし、金庫は金庫で、それらすべての映像を色としても光としても受け入れず、締め出したまま。
ストーリーなどもぎ取ってしまって、目の前のものをまじまじと写す映像に、佐々木さんは、見たことないものが見たいじゃないか、と言う。
見たことないものというのは、けっしてグロくある必要なんてないし、あからさまに奇抜である必要もないのだ。
そこで、私が見たことのない、佐々木さんの作った景色と切り取った景色の中に見つけた話:

世界に出会い続けるバットと、ブルーシートに透かされて色を変える太陽、
思うがままに発色する葉は火に入れられて鮮やかに冴えてやがてぐったりと明度を失う。

光の前に色はない、と誰の目も届かぬ密室に何があるかなんて決してわからないと思うのと同じように思うけれど、本当のところは、光を待つ色があるのかもしれない。
光を受ければそのように世界を分解しようと待ち構えている色が。
あるいは、色はすべてに待たれている、もっとも露なもので、毎日あらゆる火にかけられて熱せられているのじゃないだろうか。

タチヤマ

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